楽しめる音楽会
地域の小学校で、例年の音楽会がありました。本当に久しぶりに見たのですが、子供たち全員が楽しめる音楽会になっていて、
私も楽しく聞きました。

合唱と楽器演奏を、学年一緒に、あるいは学級ごとに演奏するのも、低学年の可愛らしさ、6年生のさすがの巧さは、 いつもの事ではありますが、感心したのは、どの演奏もひとつにまとまって、声も音色もよくそろっていたことです。楽しんで、 一人一人がしっかりと取り組んでいる様子に、先生の熱意と指導力、普段の努力が、子供の力を引き出していると感じました。
小諸も、佐久一帯も、学校の音楽教育はレベルが高いということですし、私もそう思います。優秀な先生の指導に、 地域の人たちの協力など、長年の教育努力の結果でもあります。小諸高校音楽科がある小諸で、 良い音楽に出会い楽しむ環境をもっと多くの人に広げたい。いまは、よくいわれる趣味や嗜好の多様化のせいか、 音楽の催しに人を集めるのは大変ですが、浅間山麓に豊かな音楽が響く環境を、この地域に暮らす我々が楽しめるものにして、 地域の教育力の底力となってほしいものです。
お休みいただいて・・
このごろ、米原万里の著作をいくつか読んだ。米原さんは、 昨年亡くなったロシア語の通訳者で、笑いと風刺の効いた、軽妙なエッセイに人気がある人だ。その内容もさることながら、 彼女の言葉に対する知識や、既成の概念に囚われない感受性と批評に、触発されるものが多い。ストレートな批評よりも、小咄ふうの話の展開と、 本筋からずれていく『落ち』がいい。
お話も文学も区別のない幼い頃から、言葉とは面白いと感じていた。 生活していた地域の方言のことで考えさせられたのも、子供の頃だ。地元人でない教師が「まだ若い女の人に『おばあ』と呼ぶなんて」 と批判したが、実は『叔母』を『サン』なしで呼んだのだった、とか。父と母が、『父ちゃん』『母ちゃん』と呼び合うのは間違いで自分は妻を 『家内』と呼ぶ、と言った人とか。奇妙にしっかり覚えている。
当時はもちろん、今も変わらず、時代と言葉の変化にはとまどうことが多い。 特に敬語の使い方は物議を醸すし、わかりづらい。事業所などの電話応対で、いつも違和感を覚えるのは、 休んでいる従業員にかかってきた電話に対して「○○は本日おやすみいただいておりますが」という言葉。これは、 従業員が会社から休暇を『いただいて』休んでいるのか、それとも会社が従業員にお願いして『休んでいただいている』のか。 文脈からは、後者の意味に聞こえる。
「患者様」などという過度な敬語がおかしいと、やっと言い換えられるようになったようだが、 この「おやすみいただいて」は、電話の受け答えでは定番の言い方になっているらしい。休暇を『与える』 などという僭越な企業意識を表に出してはまずいから、謙虚な言い方にしたのだと、五十歩ばかり譲って解釈を試みた。しかし、 電話の相手は取引先かお客様か、とにかく外部の人である。身内に対する敬語の使い方にも反するのではないか、と、悶々とするばかりで、 違和感は解消しない。