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茱萸

 夏茱萸の季節である。子供のころ、その鮮やかな実の色を、羨望をもって見ていた。緑の葉の中に揺れている赤や黄色の長円型の実。 食べてみれば渋みと酸っぱさは茱萸そのものだが、怪しいほど美しかった。茱萸と似た実をつける「サンシュユ」という木がある。 我が家の庭で春先に黄色い花を咲かせる木で「山茱萸」と書くそうだ。秋、夏茱萸と似た真っ赤な実が一杯になり、これも鮮やかなものだ。 薬用になる実だそうだが、人は食べない。ヒヨドリなどが来てついばんでいる。茱萸はグミ科グミ属で、山茱萸はミズキ科の木だ。

 茱萸といえば、アキグミ。薄の穂が一面銀色になびく10月ころ、子供だった私は父と一緒に蜂蜜を買いに開拓地の知り合いを訪ねた。 農作業が一段落した秋に、蜂蜜を絞ったのだろうか。家にお邪魔して、熱い蜂蜜を紅茶のカップで頂くのは至福の味わいだった。 その行き帰りにアキグミの群生地があった。当時は野生の果物(?)は子供には貴重な甘味源であり、 食べられる実のなる木がどこにあるか知るのも、子供の経験から得た知恵だった。当然私も、酸っぱくて渋いその実を採って食べた。 以来アキグミに対する愛着は消えない。採って食べるという経験が、子供の食物嗜好や味覚を作るのではないかと思う。

 正直言っていま食べても美味しいものではない。今時の子供たちは、こんな酸っぱくて渋いものには見向きもしない。 アケビや桑の実のように甘いものでも、ほとんど採って食べない。櫟の実、バラ莓、小梨、夏ハゼの実、ヤマブドウなんて、 食べられるものと認識していない。先日、庭の房スグリの実が赤くなったのを、しばらくぶりで食べた。子供の頃に味わった豊かな思い出とは、 大分違う。思い入れを差し引いても当時の味にはほど遠い。もっと甘く刺激的な味に圧倒されてしまったのだろう。 自然のままの味が一番良いと言う気はさらに無いが、自然の恵みを見分ける力を、失いたくないと思った次第である。とはいえ、 こんなものを食べて生き延びる世の中であって欲しくはないが。

投稿者 ranran : 2007年07月01日 23:08

コメント

ランランさんにそんな野生的経験があったなんて、想像できません。私も昔、木苺や桑の実など夢中になって採ったものです。ランランさんは、昔味わったものと違うと感じられたようですが、私は昨年ヤマボウシの実を食べてみて、素朴な美味しさに感動しました。

投稿者 花へんろ [TypeKey Profile Page] : 2007年07月02日 21:48

ranranさん、こんばんわ。昨日の続きで一言。「自然の恵みを見分ける力をつけて育って欲しい」と言う意見には賛成。「こんなものを食べて生き延びる世界になって欲しくない」というくだりは・・・ちょっと「?」食料が足りなくなってサバイバルとして、それらに頼る世界になるのは困るけど、他の命を戴いて生かされている自分を知って、その季節にしか味わえないものを、自らの力で手に入れ、美味しく戴くのは究極の贅沢だと思います。自然環境が破壊されたらそれも不可能なので、自然保護も考えながら、生態系を壊さず、共生できる形で私たちに何が出来るか考えることも・・・

投稿者 花へんろ [TypeKey Profile Page] : 2007年07月03日 22:22

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