中国古代史2・くさぐさ
商(殷)が成立したのは、紀元前1600年頃という。当時は文字が無かった。だから、
歴史も技術も口承によって伝えられたのだろう。商時代に甲骨文字や金文字などが使われたが、
文字は支配者階級や宗教を司る人だけのもので(エジプトのヒエログリフもそうだった)、庶民は大部分文字を読めなかったようだ。
このころ国(邑)が違えば言葉も違って、コミュニケーションを取るのも容易ではなかったと思われる。春秋戦国時代を経て、
秦の始皇帝が紀元前221年に中華統一をすると、文字を統一した。度量衡の統一とともに、
中央集権の支配に何より必要なことだったろう。
文字で情報を伝えられなかった時代、技術の広がりも手間がかかった。 伊尹(商成立当時の宰相)を書いた小説「天空の舟」 によると、人が集落から離れて野山に住むことは死を意味したとある。地面を耕す道具も金属はない。農作物は雑草に追われ、 病虫害を防ぐすべもない。食糧不足を助け合える村人の支えがなければ、病気になってあるいは食料が無くなって死ぬばかりだと。 数百人から数千人の集落が「民族」「国」となり、支配者同士の戦いは民族の戦いであり多くは相手を根こそぎ殲滅するものだったとは、 恐ろしい事だが、そうしないと後日自分たちが攻め滅ぼされる事になりかねない。国にはそれぞれの神があり、宗教も支配には大きな力があった。 商の湯王が異民族を味方につけるのにその国の宗教を取り込んだというのは面白い。その結果、商が祭る神は大変多かったらしい。 祭祀だけでも相当なエネルギーが要ったことだろう。
どこの国でも、民心が安定し豊かな社会を作るには農業改革が大きな要素になっている。 農耕技術や農具の発達がこういう歴史の中に出てくるのは、日本の古代遺跡でも、見られるが、当時の為政者の大事な仕事だった。 商を起こした湯王が、戦に出るに当たって農業のできを確認して神に報告してから師旅を発した、というように。
今でも国民を飢えさせる為政者など、為政者でいていいわけがない。そんな国や地域が少なくないことも確かだが、多くは今の世の中、 食べるものはどこでも手に入る。一人で暮らす方が楽にも思える。社会の一員という責任も忘れていられる。情報はあふれどこへでも行ける、 何でも手に入る。とはいえ、生きにくさを感じる人が増え、社会がバラバラになって家族の中でさえ孤立、という状況も増えている。 人の社会の進歩、発展とは、どこへ向かっているのか解らなくなる。
投稿者 ranran : 2008年09月03日 22:29
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